華の小さな思考空間



『命について』


長らく、しばらくの間ですが
寄付をしてきました。

そうすることで、生きられるから。

今、もしかして
もう、寄付行為をがんばらなくて
良いのでは
と思う。

仕事しないということ。

この世で奏でられる、天上の音楽
天空の音を出せるピアニストの生み出す音、
歌手の声、

天国を描いたような絵画、

無駄のない語り手の文章、

そういったものだけに、浸かりたくなった。

あまり、この世に関わりたくなくなってきた。
生きながらにして。

それが危険なのか、極楽なのか
なのだけど、

それにもまた、
興味がなくなって。

とはいえ、手作りや絵描きは、したいのだった。

書くことも。





『成功する人、していない人』

ちがいは、
光を持ってるかどうか
神様がついてるかどうか。

視たらすぐわかる。

別にその人が、信心深いかどうかは
関係なかったりもする。

努力していて、人の為に、
と思っている成分が強いかどうか。

自分の欲望も大切、名誉欲とか。
最初のモチベーションは、強ければ
強いほど、鮮烈にスタートできたりも
する。

続ける内に、何に気づくか。
気づいたことを、生かせるか。
プラスに。

くさくさして、文句言ってるだけじゃ
なくてさ。

個性のまんま、生きてるかどうか。
個性を通しているか。
個性を殺してないか。
そもそも、自分の個性を知っているのか。

ちょっとやってみて、うまくいかないから
やめた、じゃなくて。


才能はある。今じゃないよ、
ってこと。

続けるの。他にも経験が必要。

誰かにアドバイスされて、否定しないこと。
誰かにアドバイスされて、慢心しないこと。

孤独な道。道を極めることは。
でも真っ直ぐに続く道。
その道を歩めることを、感謝しなければ。


『悪気は、ない』


悪気の
ない
人。

は、何が良くないかって
反省しないから、
改善もしない。

そもそも、悪気のない人は
自分の言動は顧みしながち。
あまり顧みないよね。
顧みても、知らんぷりって感じ。

悪い人じゃ、
ないんだけどな。




『男と女』

結婚したら、それ以外の人とは
恋愛関係にはならないようにと、
シャットアウトするようにした。

一度目の結婚で、そうした。
結婚が、そういう制度だからじゃなくて
一度目の人が、一生の人、添っていく人だと
考えていた。

が、
因果としか言いようがないけど、
二人目の結婚相手は
そんなもん関係ねえ、
って意気込みであった。

それは、
だから、不倫から
ぶっ飛んで離婚、再婚の形だから
そこだけを見たら、とんでもない夫婦だ。

添っていかなきゃならない人が、二人になった、
というよりは
最初から、二人いたのかと
最近はもう、諦めた。

Tさん(今の旦那さん)は
子供の時から、すでに結婚してたようなもんだし
一緒に寝起きしてたから、兄妹のようだし
でも、親友でもあり恋人でもあるような、
今も夫婦というより、本気でよくわからない。
でも大事な人だ。

男か女かで分けたくないけど
向こうは分けてくる。

Mさん(前の旦那さん)は、変わらず守っていかなきゃだし
添っていかなきゃだし、そうする。
ここに男女間のやり取りはない。楽。
向こうは性別を分けてくるけど、
何で人間対人間で見てくれないのか。

男の人らは、仲間意識が強くて
女は女として、絶対的に線を引く。
あなたは仕事仲間だとか同僚、友達だと
女性に言っていても、
その人に性的な魅力を覚えた瞬間、
線が引かれる。

上手く言えないけど、豹変するので
真から信じられない。悲しいけど。








『画家の滑稽〜生き方』

画家の世界は、10代から見てきた。

アンティークショップ、画廊に集まる
おじいさん方は、とても虚栄心が強かった。

彼らは、なんらかの賞に入りたいのか、
それとも、売れりゃー良いのか、
それとも、タレント年鑑ならぬ画家年鑑みたいなの
に載れば良いのか、
それを全部やりたいのか、なんなのか
って感じだった。

私は、描かないと(書かないと)
死にそうだったから、絵や詩をかいていた。

こっそりやっていた。今みたいに、SNSなんか
盛んではなかったし、
パソコンや携帯は必要がなければ、触らなかった。

というか、パソコンの中も同じだった。
妙なコミュニティの中で、わきあいあい、の
ために表現をやってるわけじゃない。

グループ展も嫌いだった。
人と、必要以上に関わりたくない頃だ。

私の絵が、画廊で売れたら
ある画家のおじいさんは、
「若くて不幸な女だから、売れるんだ」
と言った。

ふざけんなと思った。
喧嘩はしてないけど。

でも、不幸というのは正しい。

表現は、不幸じゃないとやりにくい。
本気の不幸、が
表現者としての力を発する側面は、
確かにある。

今の私の絵は、優しいものやかわいい感じのもの、綺麗なものが多い。

昔は、毒々しい絵しか
描けなかった。

だから、本物の表現というより
楽しい絵。人に喜んで貰いたいから、
描く絵だ。
それはそれで良い。

でも、画家と名乗るには
なんか微妙。
違うとも思う。
たくさん売れたり、高く売れたり、
その意味では、絵でご飯が食べられるくらい、
の収入が、たぶん2年は続いてるから、
画家デス。で良いかもだけど、
なんか違う。

嫌な感じの「画家」は、
絵を買ってくれたら幸せになれるとか、
エネルギーの波動がなんちゃら、で売ってる人。
霊感商法だし。

絵だけで食えないから、言ってるのが丸わかり。

だから、私の絵を
普通の人が描いてないから、とか
幸せになれそう、で求めて頂く場合、
モワッとする。
有難いけど、モヤモヤする。
絵によっては、決して安くない。
ただ、気に入ってくださったら、それだけで良いの。

付加価値じゃなくて…

なので、画家でも何でもなくて、
何してる人なのかわからない状態にしてる。最近。
もう紹介文みたいなやつ、なるべく書かない。




『なりたいもの』

画家の話から、考えていた。

私がなりたいのは、やっぱりただの「華」という
人間だ。

なれなかったのよ。長く。ずっと。

人格が不安定に、
というよりは
バラバラのバラッバラのバラクソうんこ
になってしまい、

それを修復するのに、
20代は丸々費やして、
10代も危ない状態で、
まずは、命を安定させるのが大変。

だから、体の不安定は屁でもない。
体の病気もつらい時、あるけど
体だけだから、幸せなくらい。

体が不安定だと、心も不安定だけど
それは、健全な不安定だ。
自然な動きだから。

外からの攻撃で、心が一回殺された場合、
息を吹き返すのは至難の業。

今ですら、相変わらず私は変で、
やることなすこと、よくわからないと
周りの人に言われる。

長い付き合いの人に。
多嘉良にも。

どこに真意があるのかわからない、と。

歌も、いろんな人が歌ってるようだ、と言われたりする。
話しかたも、その時その時で違う、声が違う、
とまだ言われる。

その時その時で、すべきことは
神様に頂く。

ああ、ただの、華でいたい。






『人の上に立つ人』

というのは、まず孤独。

だって、その人にしか見えていない地平があり、
共感してくれる人は少ないから。

誰かと共同で、何らかの組織を引っ張ってる場合は
トップ間で、順位がある。
表向きはないとしても、絶対ある。存在してる。
その中の、トップの中のトップは
何かを、孤独に見据えてる。

それから、模範にならなきゃならないので
素を出せない。

この意味でも、孤独。

というか、疲れてる。

人の上に立つ人は、良くも悪くも
最初から定まってる。

その星に生まれついてる、
と言ったら簡単すぎるけど。

目に、言葉に、力がある。
決断が早い。
人を見抜く。

バランスが良い。
器用だ。

でも孤独。
守るものがたくさんある。
本当は、守られたいのにね。

本当は、不安なのにね。

それをだせない。
弱さを出せない。

泣いてしまいたくても、出来ない。許されない。

私は、神様も孤独だと思う。

神様を抱きしめよう。
蟻が象を抱きしめようと、
チョイチョイチョイ、とジタバタするだけだけど。


『願いを叶える』

願いを叶えるには、簡単な方法がある。

願った内容にもよる。

あまりにも、大それた願いは良くない。
現実味がないものは、良くない。

とはいえ、
例えば芸能人になりたい、
というのが願いだとするよ。

それを、大それた願いだと
切り捨ててはいけない。

努力はまず、必要。
芸能人つったって、何を目指すのか。
俳優?タレント?コメンテーター?歌手?

養成学校に入るとか、オーディション受けるとか。

具体的な努力をしながら、
人に夢をきちんと、話せなければならない。

人に、認識して頂く。

それから、人に親切にする。
どんな夢でも希望でも、これは同じ。
どう繋がるか?

人を蔑ろにして、成り立つ夢はない。

人を蔑ろにして、成り立つ夢は闇のものだ。
闇に属してる夢だわ。

人に丁寧に接すること。

当たり前のことを、ちゃんとやること。
道にゴミ捨てしないとか、むしろ拾うとか。

当たり前のことが出来ない人は、どこ行っても
何しても上手く行かない。
上手く行くことに、限界がある。

人の悪口を言ってはダメ。毒を撒いてはダメ。
悪口言いたい時も、あるだろうけど。

それよりは、夢を叶えることで
誰に、何を還元できるか、
贈れるか、考えよう。

贈りものは、出し惜しみしないこと。
モノではなくて、優しさとか、
そういうやつ。

目に見えないもの。
心に広がるあたたかみ。

ひっくるめると、愛よ。慈愛よ。

愛を馬鹿にしてると、誰からも
愛されなくなる。
愛されなくなった人間は、
ロクなことしない。

愛を先に出す。渡す。

そうしていたら、叶えたいことは
たいがい叶う。

神様がくださる。

私は、望んで叶わなかったことは
ほとんどない。

芯から望んで、望んで、望んだ
こと、努力をし続けたことは、
振り返ってみたら
叶ってきた。

だから、感謝と、愛情と、
光だけを感じる。







『人間は不平等からスタート』

生まれ持った才能やら、頭脳やら
親の見識、倫理観、財力やら
魂の質

ありと、あらゆるものが違う。
差がある。

とんでもなく、雲泥の差かもしれない。

でも、差は埋められる。

目標とする人に、並べないかもだけど
距離は、縮めることが出来る。
近づける。

ものすごく尊敬する人が、
色んなことを出来て、しかも人格者で
神様みたい、って場合。

その人、後光が差してて
ちょっとやそっとの努力では、その光を
背負えない
と思っていても、

長年コツコツと努力していたら、
同じ光を発せるのよ。

それを見た後進が、同じ想いを抱いてくれて、
目標にしてくれるかも。

誰かの目標となれるように。






『今は、すぐに過去になる』

この今の瞬間は、あっという間に
過去になる。

昨夜、娘とピアノの練習をしていた。
電子ピアノで。
繰り返し繰り返し。

娘は先に眠った。

その寝息を聴きながら、
娘にとっては、
母親(私)が連弾のために(娘のために)
努力したこの期間、時間を
記憶していて、

記憶は娘が大人になった時、
ふいに甦るのだと考えていた。

親が、子供と一緒になって頑張ることは、
子育てを真剣にやってるんだと、伝わるってこと。

こういうことが、
当たり前のことが、子供の人格を支えていく。

短い間のことでも、
すぐに過去になって、一度は忘れて
記憶の底に沈んでも。

今と、過去は未來の一部
未來を形づくる。

いっ時も、気を抜けないね。



『フリマアプリ依存』


以前、フリマアプリをやっていた時
思っていた。

私物が売れるって、
趣味や感性を認められてるって
ことでもある。

インスタのように、ギャラリーぽく
出品している人もいる。

自己承認が根底にあるから、
ハマる人はハマる。

楽しく売買している内は、良いけど
売るために買うようになったり、
ほぼ新品をすぐ売ったり(しかも迷いつつ)
断捨離なのか、なんなのか
わけわからなくなってきたら、
ちょっと病んでる。

短い、小さな、
人との交流・出会いでもある。

寂しくて、フリマ。
なんだか、寂しさが深まる。
寂しさが浮き彫りになるね。

おかしな人も、いっぱい。
フリマで、パワー注入します、宇宙の
みたいなやつとか。

寂しい生き霊の
集まりのようだった。





『死んでも変わらない』

人間のクズ
って本当にいる。

ニュース観てれば、わかるよね。
だから観ない。

3才の時、すでに目にした。
クズって程ではないけど。

父が亡くなってから、父のお店の什器を
騙して持ってった人たち。

母は黙ってあげてた。
面倒くさかったから、騙されたフリしていた。
覚えてる。

義理父は、確かなクズだった。
確かなクズって、嫌なクズだけども。

どんなに誠実に接されても、付け込むだけ。

今日、考えていた。
もし、母が義理父を助けたように
みー妹さんを助けたら…
どうなるか。

多嘉良が犠牲になるね。
お金の面で、特に。

多嘉良が、神様に褒めて頂けるにしても、
私はしない。
多嘉良が望んでいないから。

望んでいないことを、勝手に課せない。

未來もわかる。
オーベルジュつくり、手伝って、と
彼女に仕事をさせたら、
仕事しないで法外なお金を要求する。

断ったら、大暴れ。
すぐ物を壊す。

未來を決めつけたいわけではなくて。

人間性に矯正が利かない人ふ、確かにいる。